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日弁連が、、「法曹人口の急激な増大は司法制度の健全な発展をゆがめる」として司法試験合格者3000人に“待った”をかけたそうである。(産経ニュース2008.7.18 22:10) 司法試験は資格試験である。それをアクセサリーにして、橋下徹大阪府知事のように他分野で活躍すればよい。司法試験合格者が弁護士としてメシが食えるか否かを、司法試験合格者数の多寡の判断の要素に入れるべきではない。社会に有意な人材が、昔の司法試験で確保できるか否かが問題なのである。昔の司法試験で有能な法律テクノクラートが確保できるか否かがまさに論点なのである。 中国の科挙は、本当に有為な人材を確保できたか。明治時代に清は科挙を廃止し、代わって日本への留学を人材登用に使用した。あまりにも煩瑣な試験では本当に有能な人材が失敗することは科挙の歴史が教えている。加えて、科挙は、公務員上級試験と司法試験を合わせたものであるが、日本の場合、検事や判事を自己の職業選択肢に入れている有能な人材は、法律家資格試験である司法試験の合格にリスクが大きいと、公務員試験に進路を変えるであろう。そうして検事や判事のレベルが低下する。 日弁連は、法律家の質が低下する恐れがあると指摘しているそうであるが、全く逆であろう。競争によって弁護士の質は確実に上がる。能力のない弁護士は淘汰される。ただ科挙的司法試験を合格しただけの法律センスのない人間の既得権を守ろうとするいやしい主張を日弁連はするべきではない。 今年の6月に検事総長で退官した但木敬一は親戚であるが、平成15年法務省事務次官のときに従前の司法試験を評して、バクチのような試験をしていてはならないといっていた。彼の正直さを表しており、記憶に残っている。 【関連サイト】 安芸ねっと blogナビ BBS安芸ねっとpureland exblog安芸ねっと(差別問題) はてなBlog安芸ねっと(宗教問題を気ままに) blog安芸ねっとwebry(その他のイシュー) |
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